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文系の方々も「理」の心を(2)
2004年11月17日
宇佐美 保
『法華経』を日々の糧とされておられる石原慎太郎都知事の著作《法華経に生きる(幻冬社発行)》の中で、釈迦の持っていたと『六通』を次のように記述しています。
『六通』、六つの特異な能力とは、 天眼通、普通の人間には見えぬものを見通す力。 天耳通、普通の人間には聞こえぬ声や音を開く力。 他心通、他人の心を見通す力。 宿命通、前世のことについて知ることの出来る力。 神足通、物凄い速度でどこにでも行ける力。 漏冬通、自在に他人の心の迷い悩みを取り除いてやれる力。 |
そして、次のように記述しています。
法華経に関して私の導師となった霊友会の創設者の一人小谷喜美師は一時期失明してしまったほど過酷な修行を行った人ですが、その結果仏の教えの中に挙げられている六通りの力のいくつかを体得していました。 師からじかに聞かされたことですが、戦前赤坂の布教所で信者たちと一緒にお経を上げていたら耳元である声がしきりに、すぐに近くの弁慶橋の向こうの森に行けと囁く。 何故なのかはわからぬが声がそうくり返す。仕方なしに用を足しに付くふりをして部屋を出、家を抜け出して近くの橋を渡り、当時はまだ鬱蒼としていた今のホテルニューオ−タニの辺りの森に行って当てもなく歩いていたら、首を吊って死のうとしていた人を見つけて思いとどまらせ連れて帰ったそうな。これなんぞはお経にある天耳通による人助けということでしょう。 |
更に、次のように記述しています。
カソリックは西欧に兆してきた近代文明の合理主義に対抗してその権威と価値を保つために、自らの教義の核の一つとしてある神秘と奇蹟の現代的意味と価値を定着さようと、そのいわばシンボルたるカソリックにおける聖人たちの資格について規定しました。その中の一つに彼等が優れた信仰者としてその素晴らしさを明かすために行った奇跡のランキングのようなものさえあります。それをいくつ実際に体現してみせた人は聖人としてランクされる、と。 その内訳を見ると、仏教の説いている仏の六つの力『六通』とほとんど重なっています。 しかし小谷師にいわせるとそんな力はもともと誰でも備えているもので、自分が皆にそんな力を請われれば示してみせるのはただ信仰に導き励ませるための手だての一つでしかありはしない。 「お釈迦さまもいっておられるが、あんまりそんなことばかりに興味を持つのは勧められないね」 ということでした。 確かにそうした六通の非現実的な力は弟子たちを信頼させるには効果ある方便に違いないが、それが主目的になってしまえば下手するとオウム真理教のようなことにもなりかねない。しかしなお、自分にとっての導師がそうした力を示してくれることで、人間は勇気づけられ目指しているものに向かって進む活力を与えられるに違いない。 |
以上の記述を読み、石原慎太郎氏も結構「ブランド依存症」の方なのだとの思いを強くしました。
何しろ、「奇跡を行う人」というのも「ひとつのブランド」でしょうから。
(但し、屁理屈をこねるようですが、“自分が皆にそんな力を請われれば示してみせるのはただ信仰に導き励ませるための手だての一つでしかありはしない”という事で、たまたま自殺者の命が救われると言うのは、下種の私には、理解できないのです。
何故、“信仰に導き励ませるための手だての一つ”とおっしゃらずに、自殺者を毎日のように救われないのでしょうか?
又、私は、不思議に思うのです。「六通」を獲得された方々は、何故「大地震」などの天災を予知されて多くの人を救われないのでしょうか?
米国の大統領選にてブッシュ氏を応援された、金ぴかの衣を纏った教会の方々は、何故、テロを予知し、又、竜巻などの天災を予知、防御されないのでしょうか?
そして、何故ブッシュ氏の戦争を止めないのでしょうか?
(ローマ法王は反対されていましたのに!)
私は不思議でならないのです。
中絶は、神の意思に反すると言っても、生きている大勢の方々を殺傷する戦争が、何故神の意思に、又、道徳に反しないのでしょうか?
確かに現在の科学では人間の能力の全てを解き明かすことは出来ないでしょう?
でも、釈迦やキリストが偉大だったのは、「奇跡を行った」からですか?
私は、遠藤周作氏が《イエスの生涯》に書かれた「現実に無力なるイエス。現実に役に立たぬイエス」、「現実には力の無かったイエス。奇跡など行えなかったイエス」が大好きです。
そして、イエスの“汝の敵を愛せ”とのお言葉を信じています。
そして、私は、ブッダも奇跡など起こせなかったと思っています。
その根拠として、春秋社発行の中村元選集(第11巻)から、次の部分(苦行を捨てる)を抜粋させていただきます。
ゴータマ・ブツダが〈苦行は無意味なものである〉と知ったことは、仏教の成立のためには重大な意味をもっている。簡単ではあるが、「ジャータカ序」には次のように述べている。 『〈偉大な人〉は六年間、難行を行なわれたが、それはまるで空中に結び目を作ろうとするような〔徒労の〕歳月であった。かれは、「この難行はさとりにいたる道ではない」と考え、通常の食物をとるために、村や町で托鉢して食物を得られた。』 |
では、ブッダはどのような苦行をされたのでしょうか?
その一例を、先ほど同様に、今は亡き中村元先生の著作《ゴータマ・ブッダ(1):中村元選集第11巻:春秋社》から抜粋させて頂きます。
『その少食のためにわたくしの肢節は、アーシーティカ草の節またはカーラー草の節のようになった。その少食のためにわたくしの臀部は駱駝の足のようになった。その少食のためにわたくしの脊柱は紡錘の連鎖のように凹凸あるものとなった。その少食のために、たとえば老朽家屋の桷(たるき)が腐蝕し破れているように、わたくしの肋骨は腐蝕し破れてしまった。その少食のために、たとえば深い井戸における水の光が深くくぼんで見えるように、わたくしの眼窩における瞳の光は深くくぼんで見えた。その少食のために、たとえばなまのうちに切り取られた苦い瓢箪が風や熱によって皺よって萎縮してしまうように、わたくしの頭皮も皺よって萎縮してしまった。 そこでわたくしは、腹皮に触れようとすると、脊柱をとらえてしまい、脊柱に触れようとすると、腹皮をとらえてしまった。その少食のために、わたくしの腹皮なるものは、脊柱に密着してしまった。さてわたくしは、その少食によって、「わたくしは糞をしよう」あるいは「尿をしよう」と思って、その場で頭を前にして倒れてしまった。そこでわたくしはこの身体をいたわりつつ、掌で肢体を按摩した。すると、わたくしが掌で肢体を按摩したときに、その少食のために、わが身毛は腐蝕したその根とともに、身体から脱落した。 |
(次に、《ブッダの人と思想:日本放送協会発行》から、次の写真を転載させていただきます。)
苦行のブッダ像 |
ガンダーラ出土、3世紀ごろ |
このように、ブッダは難行苦行からでは、悟りに至れなかったと伝えられているのです。
(一寸脱線しますが、私の恩師の故齋藤進六先生(東京工大の学長としても活躍された)は、偉そう然として他人を容易に寄せ付けないような教授連を「仁丹の看板」のようと評し、先生はいつも優しく私達に接してくださったものでした。
以来、金ぴかの衣装を身に纏ったり、怖い印象を撒き散らす方々を私は信じることが出来ないのです。)
しかし、「ブランド依存症」と思える石原氏は、別の箇所ではきちんと次のように記述しているのです。
仏教はもちろん釈尊の教えを元にした信仰だが、それを信じるか信じないの前に、釈迦が説いたことはただのものの考え方としても素晴らしいし我々の実生活にそのまま役に立ってくれる。 |
更に、
そして釈迦が仏教として法華経で説いた哲学とは、それをさらに私たちの心の内で助長し確信させてくれるものなのです。 |
私は、仏教にしろ、キリスト教にしても、儒教同様に、トルストイが認識していたように「世界人類の全ての賢者」の愛の教えであると認識しています。
(拙文《平和憲法は奇跡の憲法》をご参照ください)
更に石原氏は次のようにも記述しています。
釈迦は身分の格差を不条理なものとして捉え、それを踏まえて人間の存在の意味を考え、それを考え切ることで人間の救済の術について考え出したのです。 その救済のための最大の所以は釈迦が法華経で力強く説いた万人平等の思想、つまり人間には誰しも皆それぞれが仏になることの出来る可能性、すなわち『仏性』があるのだというメッセイジです。釈迦はそれを教えの中で陰に陽に説いています。 |
このように法華経を信奉する石原氏は、「シナ」と呼んだりして中国と事を構えんばかりの態度をとる石原氏の心情が私には理解できないのです。
再び、聖徳太子の「17条の憲法」に戻り、この第10条を次に掲げます。
十曰。絶忿棄瞋。不怒人違。人皆有心。心各有執。彼是則我非。我是則彼非。我必非聖。彼必非愚。共是凡夫耳。是非之理。誰能可定。相共賢愚。如鐶无端。是以彼人雖瞋。還恐我失。我独雖得。従衆同挙。 十に曰く。忿(こころのいかり)を絶ち、瞋(おもてのいかり)を棄てて、人の違(たが)へるを怒らざれ。人皆心あり。心各々執(と)ること有り。彼れ是(ぜ)なれば、則ち我は非なり。我れ必ずしも聖(ひじり)に非ず。彼れ必ずしも愚(おろか)に非ず。共に是れ凡夫(ただひと)のみ。是非の理(ことはり)を誰かよく定むべき。相共に賢愚(かしこきおろか)なること、鐶(みみがね)の端(はし)なきが如し。是を以て彼の人は瞋(いか)ると雖も、還(かへ)つて我が失(あやまち)を恐れよ。我独り得たりと雖も、衆(もろもろ)に従ひて同く挙(おこな)へ。 |
このように聖徳太子は、“自分だけが正しくて(聖人で)、他人は間違っている(愚人である)との、認識を諌め、自他共に賢くもまた愚かでもあるのだから、他人が起こっている場合には、自分に失敗が無いかを反省せよ”と教えて下さっているのですから、一方的に、「日本は常に正しい!」とか「中国側が悪い!」とか「イラクが国連を無視したから悪い!」などと言い続けるのは、人として、又、国の指導者として反省すべきであると聖徳太子は教えておられるのだと存じます。
科学の世界では、問題が行き詰まった場合には、より根本的に規則法則に立ち戻って行き、解決の糸口を探します。
ところが、文系に安住されて居られる方々は、安倍氏の“第九条を筆頭に明らかに時代にそぐわなくなっている条文がある”との発言のように、規則法則を現状に合わせようとします。
これではいつまでたっても「現状」を肯定し続けてゆくのですから、「現状」の進歩はありません。
何故「現状こそが問題点だ」との認識が持てないのでしょうか?
そして、この「現状こそが問題点だ」との認識が持てないジャーナリストの例を、最近政治家の提灯持ちに成り下がってしまったと思われる田原総一郎氏に見ることが出来ます。
例えば、週刊朝日(2004.11.5)では次のように書かれています。
わたしは、自民党議員たちに口癖のように、無理な縛り(「献金の上限を定める」の意味と思います)をかけるのではなく、献金をすっきり透明にすることを求めているのだが、反応は芳しくない。…… 野党やマスメディアの多くは、政治にかかること自体が悪のように糾弾しているが、自民党の若い議員たちに問うても年間1億円前後を必要としている。特に政権政党の場合、カネはかかるものなのだ。 |
田原氏は、献金の入り口の透明性は求めていても、出の透明性を訴えていません。
何故、政治家の活動に1億円以上が必要なのかを言及しません。
支持者の冠婚葬祭の際に金一封を包む為などでは理由になりません。
こんな悪習を是認してしまうほうが問題です。
政治家から冠婚葬祭の際に金を貰う人が全国でどれだけいると言うのですか?!
日頃、その政治家を熱心に支援された方々に受け取って貰うのだとしたら、これまたおかしいことです。
政治家を支援される方々は、より良き日本をより良き世界をとの思いから、支援するのですから、たとえ冠婚葬祭の際と言え、そのような方々が政治家からお金を貰うわけはありません。
(先ずは、こんな悪習から直してゆくべきです。)
では一体何のためにお金を使っているのですか?
それに、年収1000万円近くの公設秘書の方々は何をしているのですか?
参議院のホームページを見たら、次のように書かれていました。
政策担当秘書とは、主として議員の政策立案及び立法活動を補佐する秘書です。議員にはそれぞれ政策担当秘書1人を置くことができます。 |
では、彼らは、実際にどんな“政策立案及び立法活動を補佐”したのでしょうか?
そして、その補佐された政治家達は、どんな“政策立案及び立法活動”をしたのでしょうか?
全議員の政策立案数、立法数を統計的に纏めて報告してほしいものです。
“政策立案及び立法活動”もしない議員がごろごろいる日本の現状を是認して“日本だけがバーチャルな世界に取り残されてきたわけです。その結果として、日本人が精神的に成長し得なかった事実は悔やんでも悔やんでも悔やみ足りない。”と発言する桜井氏を奇異に感じます
それに、憲法の第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】 がバーチャル(仮想、虚像)の世界ですか?
確かに現実の世界ではありません。
だからと言って「バーチャルの世界」と虚仮にすべきではありません!
少なくとも「理想の世界」なのです。
人間社会の「基礎となるべき、基本となるべき世界」なのです。
しかし、週刊金曜日(2004.11.5)の“私達が誇る平和憲法を侵すな!”の記事を一読して頂きたいのです。
中米コスタリカの大学四年ロベルト・サモラ君(二三歳)は、平和憲法を持つこの国で昨年三月、パチェコ大統領がイラク戦争で米国への支持を表明し、米国の有志連合のリストにコスタリカの名が載っていると聞いて、彼は驚いた。 その日からサモラ君は違憲訴訟の準備を始めた。 憲法を精読し国際人権法などを調べ、一年以上かかって六ページの訴状を書いた。┈┈┈┈ それから一ヶ月もたたない.うちに判決が出た。サモラ君の完全な勝利だ。大統領は名誉のために体裁を繕うこともなく、素直に判決に従った。米政府は仕方なく有志連合からコスタリカの名を削除した。侵略を支持する政府に対する国民の異議申し立てを裁判所が認めたのは、コスタリカでも初めてのことだ。 |
更に次の文も抜粋させていただきます。
コスタリカは一九四九年に自分たちの手で平和憲法をつくり、常備軍を廃止した。自衛権は否定せず侵略される危険があるときは再軍備できるが、一度もしていない。 「侵略されるとは考えないのか」と国民に聞くと「侵略されないような国をつくってきた。この平和国家を、だれが侵略できるのか」と胸を張って答える。平和の意識が国民に浸透しているのだ。パチェコ大統領も、「イラク戦争を支持したわけでなく、テロに反対する意味だった」と釈明している。 |
それでは、コスタリカと言う国は、どのような国なのでしょうか?
ホームページを訪ねて、一部を抜粋させていただきます。
(http://www.costarica.co.jp/)
“中米の楽園”コスタリカへようこそ コスタリカ共和国は北米大陸と南米大陸の中間に位置する、四国と九州を合わせた程の大きさの国。 ◆ 世界で唯一の非武装永世中立国 |
この理想に燃えるコスタリカと異なり、現実主義ドブ浸かりの、日本での先の鼎談を抜粋しましと次のような箇所にぶつかります。
安倍 ……九条を溺愛している人たちにはそれが戦後の日本の平和を保障してきたと見えるのでしょうが現実は違います。日本を守ってきたのは自衛隊と日米安保条約の存在です。少なくとも政治家はこの現実から国の独立と安全保障を構想しなければならない。単なる願望によって国の選択を誤ってはならないのです。 八木 それは現実を見ない、見たくないという″駄々っ子の平和主義″でしかありませんね(笑い)。…… |
全くなんと頓珍漢な方々なのでしょうか!?
「平和憲法が日本の平和を保障する」等との妄想を抱く人がいますか?
そんな方々は、“「侵略されないような国をつくってきた。この平和国家を、だれが侵略できるのか」と胸を張って答える”コスタリカの人達の爪の垢を煎じて飲んで欲しいものです。
「平和憲法は、戦争の荒波の中に武器も持たずに日本人が漕ぎ出す死に物狂いの憲法」ではありませんか!!!!!?
だからこそ、憲法の前文には「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」と書かれているのではありませんか!!?
そして、この為に、「日本国民が日本国が、世界の人々世界の国々に尊敬と敬意の念を抱いて貰うべく努力する」と誓っているのが平和憲法ではありませんか!!!?
なのに、安直に“日本を守ってきたのは自衛隊と日米安保条約の存在です”と政治家が公言したり、“駄々っ子の平和主義”等と茶化す大学の先生の存在こそが、桜井氏の語る“その結果として、日本人が精神的に成長し得なかった事実は悔やんでも悔やんでも悔やみ足りない”の原因であって、「平和憲法の存在」が日本人を堕落させたのではないのです。
日本人が、常に世界からの尊敬と敬意の念を意識していたら、「エコノミック・アニマル」と蔑視される事も無かったでしょう。
少なくとも私達は、「エコノミック・サムライ」とでも評されるよう行動すべきでした。
更に、端的な例は、「ブッシュのポチ」と言われて「平和憲法の改革、自衛隊の軍隊への転換を目論見、“ブッシュ命”と公言しているかのごとき小泉首相」の言動を見れば、如何に「日本人が精神的に成長し得なかった」事が判るではありませんか!!!?
こんな小泉首相の言動で日本が導かれていては、日本は世界からの尊敬も敬意も期待できません。
小泉首相には(勿論、安倍、桜井、八木の3氏共々)、コスタリカの大学四年ロベルト・サモラ君の爪の垢を煎じて飲んで頂きたいものです。
さて、再び、石原氏の著作《法華経に生きる》の次の記述を見てください。
そんなおり読売新聞社から、その年初めて行われるクリスマス休戦、つまりクリスマスにはアメリカ側もベトコン側もクリスマスを祝って暫時停戦しょうという、戦争にしては隠微で奇妙な約束が成り立ってしまったので、その取材をという依頼を受けた。しかし、物書きの好奇心はとてもそれでは収まらず、依頼した読売は私が読売の雑誌に連載中ということもあって、取材で前線に赴くことは控えてくれとはいっていたが、そのまま無断で最前線に行って雨中の待ち伏せ作戦にまで同行し、いろいろ恐ろしい、しかし興味深い体験にまみえることが出来ました。 しかしなお、そんな申し出を引き受けた最初の理由は、なんとなく肉体的疲労を感じていたその年の暮れに、当時最大のトピックスとはいえ、なんといっても日本よりはるかに南の国での戦争を野次馬として観戦に赴くことで日本ではもう出来ずにいる海水浴もどこかで出来るだろう、どこかで体を陽に焼きながらのんびり出来るだろうという、赴く先が戦場なのに実はごく軽薄で冒瀆的な動機でしかなかった。 ところが出かけていってみたベトナムはおりからの冬と雨季でどこへ行ってもうそ寒く、とても海水浴どころでありはしない。そして従軍した軍隊の戦闘を見守る、というより私自身も完全に巻きこまれた状況の中での恐怖の連続。そんなことの堆積で感染していた伝染病が帰国して発病し、結局その末の未に私は政治への参加を決心してしまったのだった。 今になって思い返すと、私の政治参加という、いわば人生の中で初めて清水の舞台から飛び下りるに似た行為のためには、大小実にさまざまな要因が重なり合ってあの結果となったのでした。 |
“南の国での戦争を野次馬として観戦に赴く”、“赴く先が戦場なのに実はごく軽薄で冒瀆的な動機でしかなかった”とは、 実に正直な記述ではありませんか?
この石原氏は、高遠さんら3人のイラク人質事件の際は次のように発言されています。(朝日新聞2004年04月20日)
「だからやっぱり、要するに家族と水杯をあげて行くんだね。やっぱり自己責任ってあるわけですからね。麻生太郎君がちゃんと言ったけども、危ないからそれの船に乗るなというのに沈んじゃったわけでしょう。それで、逢沢君が副大臣という形で、どういう心構えで行ったか知らんけど、もし例えばあれが金で解放されるという条件を出されたら、政府が払うお金といったら日本の税金ですからね。そういうものはきちっと考えた上で行動をとることが私は自己責任だと思いますよ」 |
ご自分がベトナムの戦場に赴いた際はどうだったのですか?
なんだかこの石原氏は、著作に於いては、ご自分の若い時の無鉄砲さ(或いは、豪胆さを?)を得意げに披露していますが、ベトナムで石原氏ご自身が人質となる事は考えましたか?
香田証生さんのご不幸の際には、作家の小田実氏は、次のように発言されています。
献身的な市民運動家ではないかもしれないが、イラクで何が起きているのか自分の目で確認したいという普通の青年の行動を誰が非難できるのか。私自身、北爆さなかの北ベトナムに入ったとき、最初は目的などなかった。ただ現地を見てやろうという好奇心がそうさせた。人々は、平和を国是とする日本人という目で見てくれ、助けてくれた。今はアメリカの手下だと思われている。そうしたのは日本政府なのに、「身勝手」「無責任」などと責める風潮はおかしい。 |
この小田氏の発言から、石原氏がベトナムで人質とならなかった理由が判りました。
当時のベトナムの方々は、“平和を国是とする日本人という目で見てくれ、助けてくれた”と言う事だったのです。
そして、今や、(石原氏も支持する)小泉首相の愚行の数々によって、私達日本人は“平和を国是とする日本人”という大事な宝物を失ってしまったのです。
その結果が、香田さんのご不幸ではありませんか!?
そして、私達は、この石原氏、小田氏の発言のどちらに信を置くべきかは、自明の理ということです。
更に、福田前官房長官の次の談話を、朝日新聞(2004年4月9日)に見ます。
福田官房長官は9日午前の記者会見で、イラクでの日本人人質事件に関連し、父の福田赳夫首相(当時)が77年のダッカ事件で「人命は地球より重い」として赤軍派メンバーを釈放し、身代金を払う超法規的措置をとったことを問われ、「時代が違う。意味合いも違うんじゃないか」と述べた。 福田長官は「30年近く前の話。それはそれでそうせざるをえなかった客観情勢がある。それと比べることはしない」と強い口調で述べ、自衛隊撤退という犯行グループの要求に応じるべきでないとの考えを改めて示した。 |
この福田氏の発言に見るように、「人命」の重みが「時代」で異なると発言されては、理解不能となります。
(しかし、この「ダッカ事件」の際は、拙文《ダッカ人質事件と米国人》に記しましたが、その際は、「日本人の人命が地球より重い」のではなくて、人質の中に居られた米国銀行会長でカーター大統領(当時)の友人の人命、即ち「米国人の人命が地球より重い」と言う、 “それはそれでそうせざるをえなかった客観情勢”があったと福田氏は暗に語っていたのでしょう。)
この世の中では「現実をよく見ろ!」と盛んに言われます。
でも、どうやらこの《現実》の受け止め方が、この世の中には、2通りあるようです。
安倍氏、桜井氏、八木氏、石原氏、福田氏等などの文系ドブ浸かりの方々にとっては、「《現実》こそが、この世を動かす主役」なのです。
即ち、
“「現実をよく見ろ!」、そして、その現実に会わない法則、規則があったら、その法則、規則を《現実》に合わせろ!” |
なのです。
しかし、科学の世界では、「《現実》は、脇役」なのです。
即ち、
法則、規則に《現実》が合致しないのなら、その《現実》は異常と思われるので、法則、規則に合致するような改善を試みる |
のです。
勿論、科学の世界とて、「法則、規則」が絶対的な存在ではありません。
“何故りんごは木から落ちる?” で有名なニュートンの物理学の法則で、ほとんどの日常の物理的な問題は解決できるのに、アインシュタインは不満に感じ、彼独自に「特殊相対性理論」「一般相対性理論」を確立したのです。
そして、その理論(「法則、規則」)の根本は、まったく単純な二つの事柄《光の速度は不変である》《光より速い速度は存在しない》なのです。
文系ドブ浸かりの方々も、いつまでも“《現実》に法則、規則を合致させるのが大人の世界”等との戯言を言わずに、《現実》を、初心(人間社会の根本原理)に立ち戻す努力をされてはいかがでしょうか?
そして、その「人間社会の根本原理」とは、ブッダもキリストも説かれた“慈悲の心”、“全ての人は平等”ではありませんか?!
そして、特に、私達日本人が忘れてはいけないのは、聖徳太子が説かれた“和を以て貴しと為す”のお言葉ではありませんか?!
更には、拙文《イマジンと仏教と宗教》にも引用させて頂きましたが、ジョンレノンの歌「イマジン」にある“想像してごらん 国境などないと”ではありませんか?!
私達、人類と称する生き物達が勝手に地球上に「国境線」などを引いて、「国益」「国益」と喚いているのは、余りにも鈍(おぞま)しい事ではありませんか?
国境周辺に住まわれている方々はどうなのですか?
1本の国境線を境に、彼らの本質(国民性とやら)がガラリと変わってしまうのですか?!
ニュートンや、アインシュタインの業績は、彼らの生まれ育った国(イギリスやドイツ)だけのものですか?
人類全体への恩恵ではありませんか!?
(補足:1)
残念なことに、文系ドブ浸かりの方々の“「現実をよく見ろ!」、そして、その現実に会わない法則、規則があったら、その法則、規則を《現実》に合わせろ!”的発想は、多くの方々に浸透し、根付いてしまっているようです。
以下に、《ブッダ入門:中村元著:春秋社発行》から、抜粋させていただきます。
ヴァッジ族の七つの法
(マガダ国の)大臣は釈尊に申し上げた、「王さまはヴァッジ族を攻め滅ぼそうとしていますが、いかがでしょうか」。それにたいして釈尊は、いいとも悪いとも答えない。ただ次の点を問いただした。その質問が七か条あります。
……
それから第三に、ヴァッジ人は、いまだ定められていないことを定めず、すでに定められたことを破らず、昔に定められたヴァッジ人の旧来の法に従って行動するかどうか。するとアーナンダが 「はい、その通りです」と答える。
これは観念的な保守主義を示しています。昔に定められたことを、後世の人は変えないのが望ましい。実際問題としては、世の中が変われば人々のすることもどんどん変わっていくのですが、観念的には、昔に定められたことはそのまま受け継ぐという考え方が、インドでは支配的です。それがこの問いに反映していると思います。
……
さらに、仏教の教化法の特徴がこの対話に見られるかと思います。王が「征服しよう、戦争をしかけよう」と思っていても、すぐに「そんなことはするな」とはいいません。まず聞いてみて、じわりじわりと必要条件を検討する。そして相手に、「これでは戦争などはじめてはいけないな」と自覚させるのです。これが仏教の独特の教化法であったと思います。 |
私が尊敬し、私にとってはお釈迦様的な存在であられた、今は亡き中村元先生ですら、“世の中が変われば人々のすることもどんどん変わっていく”との悪しき発想に侵されておられたように感じます。
お釈迦様をはじめ、キリスト、マホメッド、孔子など等(そして、わが国では聖徳太子)の偉人たちの教えは、“世の中が変わっても、人々が心すべき、根本的な教え”ではありませんか?!
お釈迦様は、マガダ国の王に、“為政者の都合で、(この人類が心すべき根本的な教えを逸脱した)法を定めてはいけない”と戒められたのでは?
(補足:2)
このように、文系ドブ浸かりの方々の“「現実をよく見ろ!」、そして、その現実に会わない法則、規則があったら、その法則、規則を《現実》に合わせろ!”的発想からの脱出は、なかなか難しいことではあります。
「国益!」、「国益!」と喚きながら、自己の都合の良いように法律を変えてしまう政治家たちに、この悪しき発想からの脱出を期待するのは、彼らの倫理観を求め事と同様に不可能”なのかもしれません?
しかし、これからの世界を担う、若き学生たちには、“この悪しき発想からの脱出する”或いは、“この悪しき発想に染まらない”事が必要不可欠と思います。
なのに、大事な学生たちを預かる大学の先生ご自身が、今回の八木氏のように、“この悪しき発想にドブ浸かり”であることは大問題です。
(補足:3)
コスタリカなどは、特殊例だとおっしゃる方がございましょうが、ここに再度拙文《武士道と自衛隊と勝海舟》に引用させて頂いた、新渡戸稲造の著作『武士道:三笠書房発行』からの抜粋文を、再度ここに掲載させていただきます。
暗殺、自殺、あるいはその他の血なまぐさい出来事がごく普通であった、私たちの歴史上のきわめて不穏な時代をのり越えてきた勝海舟の言葉に耳を傾けてみよう。彼は旧幕時代のある時期、ほとんどのことを彼一人で決定しうる権限を委ねられていた。そのために再三、暗殺の対象に選ばれていた。しかし彼はけっして自分の剣を血塗らせることはなかった。 勝舟は後に独特の江戸庶民的語り口で懐旧談を語ったが、その中で次のように語っている。 「私は人を殺すのが大嫌ひで、一人でも殺したものはないよ。みんな逃して、殺すべきものでも、マアマアと言って放って置いた。それは河上彦斎が教えてくれた。『あなたは、そう人を殺しなさらぬが、それはいけません。南瓜でも茄子でも、あなたは取ってお上んなさるだらう。あいつらはそんなものです』と言った。それはヒドイ奴だったよ。しかし河上は殺されたよ。私が殺されなかったのは、無辜を殺さなかった故かも知れんよ。刀でも、ひどく丈夫に結えて、決して抜けないようにしてあった。人に斬られても、こちらは斬らぬといふ覚悟だった。ナニ蚤や虱だと思へばいいのさ。肩につかまって、チクリチクリと刺しても、ただ痒いだけだ、生命に関りはしないよ」(『海舟座談』) これが、艱難と誇りの燃えさかる炉の中で武士道の教育を受けた人の言葉であった。よく知られている格言に「負けるが勝ち」というものがある。この格言は、真の勝利は暴徒にむやみに抵抗することではないことを意味している。また「血を見ない勝利こそ最善の勝利」とか、これに類する格言がある。これらの格言は、武人の究極の理想は平和であることを示している。 この崇高な理想が僧侶や道徳家の説教だけに任され、他方、サムライは武芸の稽古や、武芸の賞揚に明け暮れたのはまことに残念きわまりない。このようなことの結果、武士たちは女性の理想像を勇婦(アマゾネス)であれ、とするに至った。ここで女性の教育、地位という主題に数節をさくことは無駄ではなかろう。 |
そして、この勝海舟のように“日本の香り”を持つ方が、今の日本に存在しない点が日本の最大の悲劇でもあるのでしょう。